アレックのレース活動
JAF公認レース編
1989年5月5日のOLD&NOW |
この頃同じく1000ccにこだわってレースをしていたのが、クーパーカーレプリカのガレージグレイス、この頃から1000ccでは1位、総合でも入賞するくらい、アレックとグレイスは仲の良いライバルだった。 この後の90年代の初め、アレックは筑波のレースにのめり込んで行き、グレイスはマンクスラリーをかわきりに国際ラリーへのめり込んで行った。もちろんグレイスの気谷氏、アレックのライトカバーを付けて、アレックのメタルG/Kを組んでいたのは事実である。後半はレギュレーションでメタルは使えなくなったが、そう速い車にはいちゃもんは付きものなのは万国共通かなー。 |
これは1991年コカコーラジャンボリーの第1回目に初めてMINIのクラスが1000ノーマル、チューニングと1300クラスとは別レースになった時のグリッドである。 |
ローバーコカコーラジャンボリー |
1992年8月15日第2戦は大失敗でポールを取り、2位以下をワンラップ引き離し、さらに遅いのを2ラップしていた。残り2周で前に2位と3位、ドライバー小林のぶっちぎりますかの合図。アレックはこの時大人が子供相手に得意がっているような気がして、もういいよ抑えて抑えての合図、その時アレックは重大なミスを犯していた。黄旗追い越しである。1周のペナルティで正式結果は3位、あの2台を抜かしておけば1位だった。 |
1992年10月11日最終戦 |
1992年10月11日は1000チューニングクラス(スプリント)と1000・1300各クラス混走の60分耐久レース2つにエントリーし、2つとも優勝、完全優勝である。 |
1992年10月11日もレース終了後は定位置へ |
どのレースも必ず優勝。この頃から手伝いに来ていたのが、オレンジのミニの岩田君。自分もレースをやると言うので翌年より岩田号の作成に。 |
公認レースでは速いやつに乗せて、アレックはせっせと草レース。 あれから12年、今は、2004年。最近ではグレイスの気谷氏とのコラボレーションプロジェクト発足。一つはREMAKE MKIII STANCE。もう一つは国際ラリー優勝等長きのノウハウによる頭の良いエンジン、1.3iクーパーS STANCE E/G。 |